会津若松城1348(至徳元)年に会津に下向した三浦氏一族の葦名直盛が築城した東黒川館を起源とする。葦名氏は義広の代の1589(天正17)年に伊達政宗に摺上原で敗れ会津を追われた。 当時、黒川城と呼ばれていた城郭は伊達政宗のものとなるも、束の間、豊臣秀吉によって蒲生氏郷に与えられた。 近江出身の蒲生氏郷は、その築城技術を十二分に発揮し黒川城を天守閣を有する雄大な城へと生まれ変わった。城下町が若松と名付けられたのは蒲生氏郷の時代である。蒲生氏郷は次世代のエースと目されるも早世。 加藤家による統治を経て、1643(寛永20)年に将軍徳川家光の異母弟・保科(松平)正之が城主となる。蒲生氏郷が本格的に築城し鶴ヶ城と名を変えた城郭は松平家によって整備され明治維新まで名城の雄姿を保った。 現在の天守閣は1965(昭和40)年に再建されたもの。
2009年12月12日(土) 訪問
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