荏柄天神歴史は古く鎌倉の地に幕府が開かれる前の長治元(1104)年に創建されたという。 源 頼朝によって幕府が開かれると、幕府の鬼門として栄えた。なるほど、大蔵幕府のあった辺りからは、この荏柄天神の鎮座する地は鬼門に当たる。そもそも、幕府の地を選定するに当たって、荏柄天神を鬼門にする位置という指示が頼朝よりなされたとのこと。 昭和4年に立てられた鎌倉町青年團の碑文によると、「荏柄」というのはこの地の古い呼び名とのことらしい。もとは、「江がや」と呼ばれていたのが転訛したという説が触れられている。 享徳4(1455)年に、鎌倉公方足利成氏に対する討伐軍を率いた、室町幕府の上総介範忠が鎌倉に入府する。この時に討幕軍の一翼を担った今川軍の一団が荏柄天神を駿州に移したが、兵乱が収まると元に遷座し現在に至っている。 その後も後北条氏、徳川氏の庇護を受け、鶴岡八幡宮の造営の度に余材を受けて修造したという(碑文)。
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