コンドラチェフの波
今の資本主義の始まりの始まりと言える産業革命は1760年前後のイギリスで始まったとされている。上の表では1789年となっているが、あくまでも目安ということで考える。 産業革命が進むに従って、工場制機械工業が産業の中心になってくる。工場制ということで、そこで働く人々は住んでいるところから工場まで通って仕事をして、時間になると家に帰っていく。そういう生活様式が18世紀後半のイギリスで定着する。18世紀後半というと、 1760年は日本でいうと宝暦10年になる。 桃園天皇の時代であり、 第10代将軍徳川家治(在位1760-1786)の時代。 田沼意次が印旛沼や手賀沼干拓に乗り出していた時期。日本では商人の経済力をもはや無視出来ないような局面になっていたわけで、日本でも変化の兆しが別の意味であったといえよう。 また、田沼が失脚すると、1788(天明8)年には松平定信が寛政の改革を開始している。 そういう時期に地球の反対側の島国で、ジェニー紡績機(1764年にハーグリーヴズが発明)、水力紡績機(1769年アークライトが発明)、ミュール紡績機(1779年クロンプトが発明)という様々な機械が生み出される。そして、1769年にはジェームス・ワットの蒸気機関の発明となる。 こうした一連の技術的な発明によって、家内制手工業から工場制手工業、そして機械制大工業へと本格的に移行していった。だから、ほぼ、産業革命と同時に現在の住む場所と働く場所の分離が開始されたといって良いと思う。
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