[[関東史]]
**長尾景春の乱
家宰・白井長尾家の台頭を嫌った山内上杉顕定は白井長尾景信が1473(文明5)年に死去すると、景信の嫡男・四郎左衛門景春ではなく総社長尾家の忠景を跡目とした。
これに対して白井長尾景春が山内上杉家の本拠地・五十子陣(埼玉県本庄市)を離脱し、白井城(群馬県渋川市)、続いて鉢形城(埼玉県寄居町)にて叛旗を翻した。
~この動きに対して、山内上杉側からは、
~
-長尾六郎
-下総葛西領主・大石石見守
-武蔵二宮城主・大石駿河守
-相模小沢城主・金子掃部助
-相模小磯城主・越後長尾五郎四郎
-溝呂木城主・溝呂木氏重
-小机城主・矢野兵庫助

~が長尾景春に与した。

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