都市論

都市と呼べるためには、人口の集密化と集落の形成がなされていること、政治・経済・宗教・文化などの諸機能が備わっている場として成立していること、特別な行政区として編成されていること、そして、持続性を有していることが必要である。

こうした観点から、日本における都市の形成を考えると、いわゆる飛鳥京では都市の範疇には入らない。日本において初めて都市が造営されたのは710年に成立した平城京であると考えられる。

平城京以前に藤原京が条坊制で構成される最初の都城として成立している。

しかし、藤原京は16年しか継続せず都市としての要件を欠く。

これに対して、平城京は784年まで70年にわたって存続した。平城京は大宝律令の成立を契機とした官僚制整備と有力豪族の再編という側面をもって造営されている。

この意味において、平城京は都市としての資格を有している。同じく政治的都市として794年に造営された平安京は現在に至るまで政治・文化の中心地として繁栄してきた。

平安京は摂関時代までは都市計画にそった左右対称な姿が保持された。

しかし、摂関時代には左京への人口集中が進み右京は衰退した。これが、院政期になると、平安京の枠組みを越えて鴨川の東に都市空間が形成されていった。

平安京は中世都市として発展をし続けるが、中世には、唐人の住む港湾都市として自生的に発展した博多、宗教都市として発展した奈良などの都市が出現した。

この政治的都市、港湾都市、宗教都市は中世都市の三類型といえ、この延長線上に奥州藤原氏の平泉、武家の都市である鎌倉などの中世都市が発展していった。平泉は政治的都市・宗教都市としての京都を模して造営され、鎌倉は執権政治が確立すると京都に倣って整備された。

その後、政治的都市として全国の府中が、港湾都市として各地に湊町が形成されていった。


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