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田原城址

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愛知県の渥美半島にある古城。1480(文明12)年頃に戸田宗光によって築城された。

戸田宗光は室町幕府政所執事伊勢貞親の被官。父親の実光が正親町三条家から戸田家に養子に入り三河碧海郡上野に下向したという。

その後、戸田実光は田原と二連木にそれぞれ築城し渥美半島を手中にし戸田氏を再興した。田原城は周囲を海に囲まれいたことから巴江(はこう)城とも呼ばれた。

ちなみに、伊勢貞親と後に北条早雲となる伊勢新九郎盛時は伯父・甥の関係。また、宗光は松平家3代目の松平信光の娘を妻としている。

つまり、戸田家は徳川家と後北条家と深く結びついていたということになる。

中興より5代目の堯光の時代に戸田家は大事件を引き起こす。人質として駿河今川家に向う途中の竹千代こと後の徳川家康を拉致し尾張織田信秀に差し出したのだ。堯光の父・康光は娘の田原御前真喜姫を松平広忠に嫁がせていた。

そして、今川義元の命によって竹千代を駿府に移送する任務を負っていた。

戸田家の尾張織田家への寝返りに対して、今川義元は大軍を差し向け、4代・康光と5代・堯光は共に田原城にて討死。宗光の弟の光忠は子の忠次とともに岡崎に落ち延びた。後に、光忠は松平家に従っている。

一方、康光の次男で二連木城主戸田宜光は今川家に恭順を続けた。

田原城は今川家の城代支配の後に、1565(永禄8)年に徳川家康によって落城させられている。

そして、徳川家康の配下として伊豆下田城主となっていた戸田光忠の子・戸田尊次が関が原の戦功により田原藩主として返り咲きを果たした。

戸田氏3代の後、1664(寛文4)年に三宅家が藩主となり、以降、三宅家が明治維新まで田原城主として君臨した。三宅家は三河の名門であり、松平家には松平元康(徳川家康)の代に服属。東京の三宅坂は江戸時代の藩邸に因んだ名称。


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