龍寶寺鯉塚東京は台東区の寿にある鯉を供養する塚。 龍寶寺は別名を鯉寺というが、それはこの鯉塚に由来していることは言うまでもない。それほどまでに重要であり、江戸時代は、この鯉塚は一般に知れ渡っていた。 事件が起ったのは1853(嘉永6)年3月29日のこと。第12代徳川家慶の治世に当たる。 天璋院こと篤姫の夫・第13代徳川家定は嘉永6年の11月23日に将軍職に就いている。篤姫が将軍正室となったのは1856(安政3)年11月だから、その3年前ということになる。 龍寶寺近くの浅草新堀川に4尺5寸の大鯉が浮かんだという。 これを人々が捕らえて龍寶寺の池に放ったものの、弱っていたためにすぐに死んでしまった。その鯉を町人達が食した。 そして、そのうち料理をした2人がまず死に、続いて4人が悶死するに至った。その祟りを大いに恐れた町人達が供養のために築いたのがこの鯉塚であるという。 後に鯉塚は開運出世縁結びに霊験を現すようになったというから不思議。
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