鹿児島城(鶴丸城)島津氏が1535(天文4)年に得た上山城に面した形で、1601(慶長6)年に島津家久が築いた平城。通常、平城の部分を『鶴丸城』、山城の部分を『上山城』と呼んだ。当初、『上山城』は日置島津常久が城番とされた。城番という名で分るように、『上山城』と『鶴丸城』は鹿児島城として一体をなしていた。後に、『上山城』は城番も置かれなくなり廃れ城山と呼ばれるようになった。 鹿児島城には天守閣こそ築かれなかったが3万6千坪もあり広大な城は藩内に威厳を示していたという。二の丸の北には東照宮があったが、こちらは明治維新の後に明治維新の立役者である島津斉彬を祀る照国神社となった。 2010年1月16日訪問。
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