京都府>洛西

長慶天皇陵墓

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長慶天皇は南朝第3代の天皇(1343-1394)。

対北朝強硬派だったとされている。弟の後亀山天皇に譲位した後は北畠家のいた津軽に赴いたとも、皇子の海門承朝のいた京都・天龍寺で過ごしたとも伝わる。

つまりは、謎多き人物ということになる。そのために、伝説も多い。

写真は天竜寺の塔頭慶寿院の跡地で、長慶天皇が、晩年、慶寿院と称していたことから昭和になって陵墓推定地とされた場所。

但し、この地は海門承朝が父親の菩提を弔うために供養所を営んだ場所と考える向きもあるという。

事実、津軽には長慶天皇の陵墓と称される場所がある。

ちなみに、長慶天皇の皇后・菊代姫の墓は津軽の北畠家ゆかりの浪岡御所の近くにある。

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Last-modified: 2010-06-05 (土) 21:36:02 (5067d)