新潟県

長尾政景公墓所

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別名を道宗塚。

坂戸城主長尾政景(1526-1564)は上田長尾家の当主。上田長尾家は越後守護代長尾家の一族。上杉家の下で越後守護代となった長尾景廉の嫡子で魚沼郡司の地位にあった新左衛門尉某の末裔。

守護代を承継したのは府中長尾家。その府中長尾家の長尾晴景と景虎(謙信)とが家督争いをした時に晴景方に与し、景虎側の古志長尾家らと争った。景虎に下って後は春日山城の留守居役に任じられるほど信任が厚かった。

これは景虎の姉・仙桃院を妻としていたことによるかもしれない。

但し、所領は削られ宇佐美・平子に与えられている。それでも、上杉二十五将に数えられるほどに重用されていた。長尾政景は1564(永禄7)年に宇佐見定満と野尻池で船遊び中に溺死してしまう。これには謀殺説もある。

いづれにせよ、政景の子・景勝は上杉謙信の養子となり宗家に当たる上杉家を継ぐことで上田長尾家と府中長尾家(守護代家)、そして上杉家(守護家)は一体化していくことになる。

なお、道宗というのは政景の法名。



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Last-modified: 2010-02-20 (土) 00:08:53 (5185d)