金毘羅社円政寺明治維新の立役者である高杉晋作、伊藤博文が勉学に励んだところとして知られる寺。 境内には、十二支の彫刻が巡らしてある金毘羅社(文化財、左)や安政五年に作られた山口県下最大の石灯籠である大灯篭などがある。 この円政寺は、毛利家以前に長門国を治めた大内氏の祈願寺であり、山口市円政寺町にあったものを、大内氏滅亡以後に毛利氏が萩に移転したものである。 この寺で、嘉永年間に住職恵運が、従兄妹の林琴子の子である林利助という11歳の子供を預かり、約1年半にわたって雑用の傍ら読書や習字の手ほどきをしたが、何を隠そうこの林利助こそが後の元勲伊藤博文公である。 金毘羅社円政寺の天狗面。 円政寺の山門を抜けて、向かって右に金毘羅社がある。 この建物に寄ってみて、まず目に飛び込んできるのが、大きな天狗の顔。 この近所に住んでいた高杉晋作は幼少の頃、家人にしばしばここに連れられてきては、この大きな天狗の面を見せられ物怖じしないようにと躾を受けたという。 日本の夜明け、明治維新の原動力となった高杉晋作、伊藤博文公が幼いおりに遊んだと言い伝えられる神馬の木造。 文政3年(1820)年に寄進されたという。 山口県十八不動三十六童子霊場8番札所
2002年5月訪問。
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