藤島城址 †福井市にある新田義貞と尾張守斯波高経ゆかりの城址。 新田義貞は恒良親王、尊良親王とともに金ヶ崎城に籠城。 これを足利軍の尾張守斯波高経が攻め落とし、義貞の子・義顕は戦死、恒良親王も殺害された。 一旦、金ヶ崎城を落ち延びた新田義貞は翌年に斯波高経から金ヶ崎城を奪還し、平泉寺勢を味方として、斯波高経を足羽まで追い詰めた。 斯波高経は、足羽七城(和田城、安居城、波羅蜜城、藤島城、高木城、黒龍城、溝ヶ城(高木城))を拠点として、黒丸城の向かいの灯明寺に陣を敷き対峙した。 そして、足利軍に寝返った平泉寺勢が籠城する藤島城に猛攻を掛け、救援に向かった足利軍に挟撃され討ち取られた。 その後、城址には1392(明徳3)年に本願寺5世綽如が超勝寺を建てた。1602(慶長5)年に本願寺が東西に分かれた際に超勝寺も東西に分かれた。藤島城は西超勝寺の地にあったとされている。
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