奥州戦国大名家

葛西氏

歴代当主

死没年備考
初代葛西清重1161(応保元)-1238(暦仁元)年9月14日豊島清元、秩父重弘の娘を父母とする。
2代葛西清親葛西清重の子。母は畠山庄司重能の娘。従五位下、左衛門尉、伯耆守。通称は三郎、壱岐左衛門尉。
3代葛西時清葛西伯耆守清親の子。母は千葉介胤綱の娘。壱岐三郎。左衛門尉。
4代葛西清経-1287葛西伯耆守清親の子。三郎。左衛門尉、伯耆守。
5代葛西宗清葛西伯耆前司清経の子。三郎。左衛門尉、壱岐守。
6代葛西清宗-1317葛西伯耆前司清経の子。
7代葛西清貞-1324葛西伊豆守清宗の子。妻は岩松院殿本室妙栄大姉。伊豆三郎。兵衛尉、武蔵守。
8代葛西良清-1365葛西武蔵守清貞の子。備前守。
9代葛西満良-1388葛西備前守良清の子。三郎。陸奥守、兵衛尉。
10代葛西満清-1420葛西陸奥守満良の子。官途は備前守。
11代葛西持重-1469葛西備前守満清の子。播磨守。
12代葛西信重-1449葛西播磨守持重の子。孫三郎、三郎二郎。
13代葛西満重-1483葛西播磨守持重の子。陸奥守。
14代葛西宗清葛西陸奥守満重の養子。実父は伊達大膳大夫成宗。母は大崎左衛門佐教兼娘。七郎。武蔵守、従五位上。
15代葛西晴重-1531葛西武蔵守宗清の子。三郎。陸奥守、従五位上。
16代葛西晴胤-1551葛西陸奥守晴重の子。
伊達氏内部で天文の乱が起こると、晴胤は伊達晴宗に協力して、晴宗の実弟で葛西氏に養子として入っていた葛西晴清を打倒。
17代葛西親信1513-1560葛西左京大夫晴胤の子。大崎氏と抗争するも家督相続後5年で病死。
18代葛西晴信1534-1597葛西左京大夫晴胤の子。母は黒川景氏娘。左京大夫。
織田信長に謁見して所領を安堵される。しかし、大崎氏との抗争のため、豊臣秀吉の小田原征伐に参陣出来ず改易。寺池城あるいは佐沼城で戦死したとも。
19代葛西胤重葛西左京大夫晴胤の子。通称は又三郎、右衛門尉。

系譜

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Last-modified: 2010-02-20 (土) 00:02:03 (5173d)