福井県

若狭守護館址

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福井県は小浜市の空印寺。1380(康暦2)年に日源が、この地に日蓮宗の長源寺を建立した。

しかし、その地がそのまま脈々と寺院として継続しているかというとそうではない。1522(大永2)年に若狭武田氏第6代当主で若狭守護・武田元光(1494-1551)が現在の八幡神社の裏手に後背山城を築城。西津にあった守護館も長源寺を移転させて、後背山城の麓である地に移した。

若狭武田氏は1568(永禄11)年に武田元明が逸見昌経らによる家内内紛に伴って越前の朝倉義景に侵攻され越前に連れ去られ傀儡政権の旗頭とされたことで若狭の支配権を失った。

その後、多くの若狭武田氏家臣団は織田信長の配下に入り、越前朝倉氏が織田信長によって滅ぼされると、若狭は丹羽長秀に任された。武田元明は丹羽長秀の庇護を受けて若狭に帰国した。

しかし、本能寺の変が起ると起死回生を狙って明智光秀方に就き、結局は丹羽長秀によって自刃に追い込まれた。

関が原の戦いの功により、1600(慶長5)年に、武田元明の従兄弟・京極高次が若狭に入り、城を雲浜に移し役割を終えた。

そして、守護所址に京極忠高が父高次の牌所として泰雲寺を建立。その泰雲寺を、江戸時代の1634(寛永11)年に小浜藩主酒井忠勝が父・忠利の戒名に因んで健康寺とし、忠勝の子・忠直が忠勝に因んで空印寺と寺号を改めた。

武田氏の系譜

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Last-modified: 2010-02-20 (土) 00:01:53 (5409d)