横浜

称名寺金堂

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1681(天和元)年再建。禅宗様の入母屋造。この金堂が再建された時は下馬将軍と呼ばれ大老を務めた酒井雅楽頭忠清が亡くなった年。忠清は4代将軍徳川家綱が危篤に陥ると、有栖川幸仁親王を朝廷から迎えて親王将軍として奉ろうとした人物。結局、春日局の養子の堀田正俊が家綱の弟の館林宰相綱吉を担いだことから失敗に終わった。

将軍を朝廷から迎え入れるという構図は北条家が鎌倉幕府で取った方法でもある。

忠清が北条氏を目指したかどうかは意見が別れるだろう。しかし、忠清が失脚し、亡くなった年に、北条氏ゆかりの金堂が再建されている。このことは事実として目の前にある。



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Last-modified: 2010-02-20 (土) 00:01:26 (3988d)