秋田県

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秋田県人の気質

 勇敢で冒険好き。

鹿角郡

北秋田郡

  • 大館市:大館地方が歴史に登場するのは878(元慶2)年の元慶の乱。当時、火内(比内)と呼ばれていた大館地方の十二カ村が連合して秋田城を襲い、雄物川以北の自治を要求した。この乱で秋田城司介良岑近と出羽守藤原興世は逃亡。押領使藤原梶長が派遣されたが敗北。朝廷は善政で名を成した藤原保則を出羽権守とし、鎮守府将軍小野春風とともに派遣。彼らの融和政策によって乱は収まった。
    奥州藤原氏時代にはにえの柵を拠点として河田氏が統治。鎌倉幕府による奥州征伐の際に、敗れた藤原泰衡は北海道へと逃げる途上、河田次郎によって討ち取られている。
    源頼朝は甲斐国浅利郷を本拠とする鎌倉御家人浅利太郎冠者義遠を新たな支配者として地頭に任じた。そして、南北朝時代には、この浅利氏と古くからの安東(秋田)氏が支配権を争った。
    江戸時代に徳川家康の命令によって秋田氏が常陸の宍戸へと移される(後に三春藩主)と常陸の佐竹義宣が秋田に入る。佐竹義宣は従兄弟の小場義成に大館平定を命じ、義成は旧浅利家臣の一揆を鎮圧して大館城主となった(佐竹西家)。
    領内の情勢を鑑み、一国一城令の後も、秋田では大館と横手は城の存続が許された。大館は城下町として発展したが、街並みは明治維新の戊辰戦争の際に灰燼と化した。
    大館城の総鎮守大館八幡神社(国重要文化財)は岩清水八幡宮と鶴岡八幡宮を二社として祀り健在。明治時代の擬洋風建築である北鹿ハリストス正教会聖堂は秋田杉を用いた貴重な木造ビザンチン様式の建造物。
  • 北秋田市
  • 上小阿仁村

山本郡

南秋田郡

  • 秋田市:秋田藩佐竹氏二十万石の町。佐竹氏の居城久保田城は千秋公園となっている。
    秋田という名は古代の秋田柵に由来する。733(天平5)年に建設された秋田城門は復元されている。
    8月の竿灯は、仙台七夕まつり、青森ねぶた祭と並ぶ東北三大祭りの一つ。河辺郡河辺町と雄和町を合併。
    半生を秋田で過ごし、秋田で生涯を終えた国文学者で紀行家の菅江真澄(1754-1829)の墓もある。
  • 男鹿市:「なまはげ」で知られる。「なまはげ」の起源は実は国際的。漢の武帝が5匹の鬼を従えて男鹿に上陸。これに対して、村人は五社堂の石段造りの賭けをして勝ち鬼は男鹿を引き上げたという。この故事から年に一度鬼の祟りをおそれて鬼に化けた若者を接待するようになったのだとか。
    1709(宝永6)年に秋田藩主佐竹義格によって造営された赤神神社五社堂は五棟の社殿が並び建つ。但し、赤神神社そのものは977(貞観2)年に慈覚大師円仁による建立。鎌倉時代の1216(建保4)年には源実朝が比叡山に模した造営を行っている。
    秋田一帯を支配下に置いていた安東氏の一族安東愛季が1577(天正5)年に築城し居城とした脇本城は名残を留めている。
  • 潟上市:2005年に昭和町、飯田川町、天王町が合併して誕生。潟上の名は「日本三代実録」に記載のある「方上」という地域名に由来。
    旧昭和町は油田の町。豊川油田は最盛期には年間86,800KLを産油。掘られた油井の数は718本を誇った。
  • 五城目町
  • 八郎潟町
  • 井川町
  • 大潟村

仙北郡

  • 大仙市
  • 仙北市:平成17年9月20日に旧田沢湖町、旧角館町、旧西木村が合併し誕生。
  • 美郷町

雄勝郡

河辺郡

秋田市に合併。

平鹿郡

  • 横手市:「かまくら」で知られる。
    旧横手市、増田町、平鹿町、雄物川町、大森町、十文字町、山内村、大雄村の1市5町2村が2005年に合併して誕生。この地は、清原氏と源義家の軍が戦った「後三年の役」の舞台となった場所。鎌倉権五郎景政の手になる景政功名塚や源義家が藤原清衡に命じて勧請させた八幡神社が残る。
    1554(天文23)年に小野寺輝道よって築城された朝倉城(横手城)は小野寺氏が関が原の戦いで改易の後、秋田に入った佐竹義宣は家臣の伊達氏を城主とした。徳川秀忠暗殺容疑を掛けられた本多上野介正純、出羽守正勝父子は佐竹家預かり処分となり、横手城代須田美濃守盛秀に預けられた。墓碑が残されている。

由利郡



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Last-modified: 2010-02-20 (土) 00:01:23 (2656d)