京都府

知恩寺

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京都大学の近くにある浄土宗鎮西派四箇本山の一つ。百万遍の交差点の北東だ。

第3代天台座主・慈覚大師円仁(794-864)が創建。もともとは、相国寺の近くにあって賀茂神社の神宮寺を担い、今出川釈迦堂あるいは賀茂禅房と呼ばれた。

浄土宗の開祖・法然が今出川釈迦堂に入り、後に弟子の源智(1183-1239)が寺を功徳院知恩寺と改めた。源智は、平清盛の嫡男・小松内大臣重盛の子で一ノ谷の戦いにおいて甲斐源氏の安田義定の軍勢に討ち取られた平師盛の遺児。

百万遍というのは面白い名前だが、これは鎌倉時代末期に知恩寺の善阿によって疫病対策のために行われた7日間百万遍念仏に由来する。つまりは、百万遍の近くに知恩寺があるのではなく、その逆なのだ。時は1333(元弘元)年。祈祷の依頼主は後醍醐天皇。鎌倉幕府を倒すことになる後醍醐天皇が百万遍という号を与えた。

知恩院の名付け親にして基礎を築いたのが源氏に滅ぼされた平氏の末裔であり、百万遍という号を与えたのが源氏の築いた鎌倉幕府を滅ぼした一人である後醍醐天皇。何かの因果だろうか。

もっとも、後醍醐天皇が滅ぼしたのは平氏の血を引く鎌倉北条氏ではあるが。

先日、門前で、偶然、昔の同僚に再会。

これぞまさしく縁と言わずして何と言おう。

美と歴史の旅は、だから愉しい。

浄土宗の古刹としては紛らわしいが知恩院がある。双方は室町時代に浄土宗の本山争いを展開。1573(天正3)年に正親町天皇の綸旨によって知恩院が総本山とされた。

京都市左京区田中門前町103



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Last-modified: 2010-02-20 (土) 00:01:12 (3939d)