平安中期

泉湧寺@京都

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真言宗寺院。別名、御寺。

このお寺の開山は月輪大師こと俊ジュウ(1166-1227)。月輪大師は現在の九州は熊本市に当たる飽田郡池上村生まれ。太宰府観世音寺戒壇院で登壇受戒したものの、当時の日本の仏教に飽き足らなかった大師は1199(正治元)年に、宋に渡って天台、禅、律を学び、日本に帰ってきてからは天台、真言、禅、律を広めたことで知られている。別名を大興正法国師とも呼ばれ、台律の中興の祖と呼ばれる。月輪大師は帰国後は禅寺の建仁寺に入ったものの律宗への情熱を絶ち難く建仁寺をやがて去る。

そして、生まれ故郷の九州に戻り、そこで、宇都宮氏の一族である豊前国の中原信房と関係を持つ。

この中原信房が弘法大師ゆかりの寺であり、藤原緒嗣が855(斉衝2)年に建立した法輪寺、後に仙遊寺とも呼ばれていた寺を月輪大師に寄進することになる。これが現在の泉湧寺の始まり。時は1218(建保8)年。

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1242年に第87代四条天皇(在1232-1242)が葬られてから皇室の御香華院(菩提所)として知られるようになった。

ちなみに、この四条天皇は、鎌倉幕府第3代将軍源実朝暗殺の後に発生した承久の乱で幕府によって第85代仲恭天皇が廃位され、後鳥羽・土御門・順徳三上皇の配流が決まった後に立てられた後鳥羽院の兄・行助法親王(守貞親王、後高倉院)の子の第86代後堀河天皇の第一皇子。

そして、四条天皇の死後に土御門天皇の第3皇子の後嵯峨天皇が即位したために、この四条天皇の代で後高倉院の系統は断絶した。

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2004.3.13 訪問



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Last-modified: 2010-02-20 (土) 00:00:13 (3984d)