松平定信の墓東京は深川の白河の霊厳寺にある。 白河という地名は松平定信が藩主であった奥州白河藩に因む。松平定信(1758-1829)は第8代将軍徳川吉宗の子の田安宗武の子。いわゆる徳川御三卿の家に生まれた。その家柄故に第10代将軍徳川家治の後継と目されていた時期もあった。 しかし、田沼意次の反対に遭い、久松松平家の庶流奥州白河藩の第2代藩主松平定邦の養子となる。 白河藩時代に天明の大飢饉を善政で乗り切った功績によって、第11代将軍徳川家斉の老中に就任(1787[天明7]年)。田沼の改革を否定し寛政の改革を推し進めた。
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