松平(保科)家

保科正之は実は江戸幕府第2代将軍徳川秀忠の四男。

隠し子として、信濃高遠の保科正光の子として育てられた。

正之が秀忠の子であることは公然の秘密であり、1625(寛永6)年に将軍秀忠に拝謁した際も保科正光の子として扱われた。

兄弟である第3代将軍家光の遺言によって第4代将軍家綱を補佐した。 3代正容の時に松平に復した。

下総多古藩 1万石

藩主官位・通称出自
初代保科正光 Masamitsu従五位下 肥後守保科正直の長男

信濃高遠藩 2万5千石→3万石

藩主官位・通称出自
初代保科正光 Masamitsu従五位下 肥後守保科正直の長男
2代保科正之 Masayuki正四位下 肥後守 左近衛中将徳川秀忠の四男

出羽山形藩 20万石

藩主官位・通称出自
初代保科正之 Masayuki正四位下 肥後守 左近衛中将徳川秀忠の四男

陸奥会津藩 23万石

初代保科正之 Masayuki正四位下 肥後守 左近衛中将徳川秀忠の四男
2代保科正経 Masatsune従四位下 筑前守保科正之四男
3代松平(保科)正容 Masakata正四位下 肥後守 左近衛中将保科正之六男
4代松平(保科)容貞 Katasada従四位下 肥後守 左少将松平正容八男
5代松平(保科)容頌 Katanobu正四位下 肥後守 左中将松平容貞長男
6代松平(保科)容住 Kataoki従四位下 肥後守松平容貞の弟容詮次男
7代松平(保科)容衆 Katahiro従四位下 肥後守 左少将松平容住次男
8代松平(保科)容敬 Katataka正四位下 肥後守 左中将水戸藩主徳川治保二男の美濃高須藩主松平(尾張)義和の子
9代松平(保科)容保 Katamori正三位 肥後守 参議美濃高須藩主松平(尾張)義建六男


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Last-modified: 2010-02-20 (土) 00:26:59 (3412d)