初代 | 有馬 晴信 Harunobu | 従五位下 修理大夫 | 有馬義貞の次男。 龍造寺隆信の圧力を受け従うが、島津義久の後援によって沖田畷の戦いで龍造寺隆信を討つ。続いて、豊臣秀吉の九州征伐時に島津義久と袂を別って秀吉に従った。 文禄・慶長の役では小西行長軍に従軍。 関が原の戦いでは西軍に与するも西軍が敗れると寝返り、小西行長の宇土城を攻め、その功績によって旧領安堵。 マカオにて有馬家朱印船の水夫数十名がポルトガルのマードレ・デ・デウス号船員によって殺害。有馬晴信は家康の許可を得て長崎に寄航していたマードレ・デ・デウス号を撃沈。その後、本多正純の与力で目付役として派遣されていた岡本大八が旧有馬領の藤津・杵島・彼杵三郡の鍋島領の復帰斡旋の詐欺行為を働く。事件発覚後、岡本大八は火刑。有馬晴信も贈賄の罪によって改易され甲斐に流罪となり切腹を命じられた。この事件の裁決を行ったのが本多正純と大久保長安。 |