最誓寺音無神社の近くにあり伊東家墓碑のある寺院。音無神社は流人時代の源頼朝と伊東祐親の娘・八重姫が逢瀬を重ねた場所であるし、この最誓寺は伊東祐親に仲を割かれた八重姫と江間小四郎が伊東祐親に殺された八重姫と源頼朝の子・千鶴丸の菩提を弔うために創建した寺院。 最初は真言宗で西成寺と言ったが、慶長年間に曹洞宗に改宗した際に最誓寺と名を改めた。江間小四郎というのは鎌倉幕府第2代執権北条義時のこと。 源頼朝と別れさせられた八重姫は北条家の義時に嫁がされる。 まだ、鎌倉幕府が出来る前であり、伊東家から追討を受けていた源頼朝も北条家の保護を受ける身分だった。 しかし、八重姫は頼朝との愛を忘れることが出来ず6年後に出奔し鹿野川に身を投じて死を選んだ。悲しい歴史がここにある。
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