星合家

http://www.digistats.net/image/u013icn.gif 「公家から出たことで有名な伊勢の大名北畠家。その北畠家の重臣であったのが星合家。」

http://www.digistats.net/image/u014icn.gif 「星合なんてロマンチックな名前。」

http://www.digistats.net/image/u013icn.gif 「地名に由来しているんだ。 星合家の祖は北畠右中将政郷の三男親泰。もちろん、北畠政郷という人は大名家というか伊勢国司の北畠家の一門。 その子の親泰が城を構えたのが星合という場所。時代は永正年間(1504-20)頃だと言われている。星合城主の北畠一門の親泰ということで、星合を名乗った訳。」

http://www.digistats.net/image/u014icn.gif 「国司というと、今で言うところの県知事でしょ。 。北畠家の場合は、単に国司というだけではなくて、大名でもあるから、軍事力も持っていたということね。そうすると、ちょっと、今の県知事とは比較なんて出来そうもないけどね」

http://www.digistats.net/image/u013icn.gif 「で、その国司大名から城を築くことを認められたのだから、星合親泰は、いわば頼れる人物だったということになる。 実際、本家である国司北畠材親から国司家伝の天蓋の馬印を授けられたり、伊賀・甲賀の諸士を与力として指揮下に組み入れられたりしている。 北畠材親からの信頼も厚かったようで、1526(大永6)年には大河内城を与えられ、北畠家の家政を担うようになっている。」

http://www.digistats.net/image/u014icn.gif 「家老クラスってことね。でも、星合という名乗りはそのままだったの?」

http://www.digistats.net/image/u013icn.gif 「星合親泰は大河内城に移ったんだけど、息子の具種は留まって星合城主になっている。 だから、大河内城に移ったというよりも、星合家の勢力範囲が広がったということになるね。 星合城主の地位は、具種から嫡男の教房に引き継がれるが、教房は父親に先立ってしまったので、次男の教賢の子の具泰が祖父と賢教の後見のもとで星合家の家督を承継している。 ちなみに、次男の教賢も同じく北畠材親の孫である国司北畠具教の厚い信頼のもと軍功に励んだ人物として知られている。」

http://www.digistats.net/image/u014icn.gif 「その目覚しい活躍にも関わらず、北畠家は織田家の攻勢を阻むことが出来なかった。」

http://www.digistats.net/image/u013icn.gif 「その通り。 国司北畠具教は伊勢安濃郡の長野家を攻め、具教の子の具藤を長野家の養嗣子として送り込む。 これが1558(永禄元)年のこと。 しかし、その10年後には、織田信長による侵攻を受け、具教の弟の木造具政さえも寝返ってしまい、遂には、織田信長の次男・織田信雄を長男・北畠具房の養嗣子として迎えることを条件として家名存続を図る。 丁度、約10年前に自身が長野家に対して行ったことを、織田家から行われるということになったことになる。」

http://www.digistats.net/image/u014icn.gif 「戦国の世には多いケースだと思うけど、因果応報ということを思ってしまうわ。」

http://www.digistats.net/image/u013icn.gif 「北畠具教自身も1576(天正4)年に北畠(織田)信雄の命を受けた北畠軍に攻められ殺害されている。 さらに、長野具藤などの北畠一門も田丸城で殺害。 その後、星合賢教と子の具泰は大和国吉野に蟄居し、北畠(織田)信雄の招きには応じようとしなかった。」

http://www.digistats.net/image/u014icn.gif 「殺されることが無く、しかも、旗下に加わることを求められているということで、織田家にとっても星合家の重要性を表しているとも言えるわね。」

http://www.digistats.net/image/u013icn.gif 「その証拠に、星合具泰は、豊臣秀吉の命令で1595(文禄4)年に織田信雄の嫡男英雄の家老として取り立てられて越前の地に所領を得ているんだ。 そして、関が原の戦いでは、織田信雄の使者として村瀬重治とともに徳川家康に拝謁しにいく途上、石田三成挙兵の報を聞き、取って返し、織田信雄に諮って、青木一矩とともに越前の兵を率いて西軍・大谷吉隆の行動を阻止しようとした。 これに失敗すると、織田英雄に薦めて前田利長の軍勢に与力し、西軍山口玄蕃頭正弘が籠る大聖寺城を攻めた。」

http://www.digistats.net/image/u014icn.gif 「大活躍ね」

http://www.digistats.net/image/u013icn.gif 「その通り。 この一連の活躍を徳川家康が耳にし、徳川秀忠に属させ廩米五百俵を拝領している。 但し、本多正信の進言により功績浅からずとして、3千石を拝領した村瀬重治と同等の配慮を徳川家康に進言しようとしていたという。 もっとも、それが実現する前に徳川家康も本多正信も亡くなってしまい、星合家は、後々になってようやく1500石の知行を得たに留まったんだけどね」



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Last-modified: 2010-02-20 (土) 00:26:49 (4471d)