多摩地方

徳蔵寺城址

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現在は城址に臨済宗大徳寺派徳蔵寺が建つ。わずかに、寺の周囲を囲むように2本流れる川にかつてを偲ぶことが出来る。

この地域は足利宮内少輔泰氏の次男板倉二郎義顕(板倉家、後の渋川家)から始まる板倉氏の支配地であり、「新編武蔵風土記稿」に土塁や塀の跡があったことが記されている。

川を挟んで北側の八国山将軍塚に新田義貞軍が布陣し鎌倉幕府軍と対峙した。

この川のすぐ近くで久米川の戦いが繰り広げられたとされる。

場所:東村山市諏訪町1-26-3

板倉家

足利義顕(義顕)から始まる渋川家は、貞頼、義季(正和3[1314]年-建武2[1335]年)、直頼と継承され義行のときに九州探題に就任。その後、満頼(応安5[1372]年-文安3[1446]年)、義俊(応永7[1400]年-永享6[1434]年)と九州探題職を歴任した。

義俊の後、義鏡、義堯、頼重と続く。この頼重のときに、三河国額田郡小美村に移住。三河国の深溝松平家の忠定の家臣となった。板倉八衛門頼重の孫が徳川幕府政権下で京都所司代を務める板倉勝重である。

その嫡流は、備中松山藩主(備中松山[高梁]城)として明治維新を迎えたほか、安中藩・庭瀬藩・福島藩も板倉氏支流。



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Last-modified: 2010-02-20 (土) 00:26:15 (4474d)