徳永家

  • 藤原北家頼通流
    関白頼通の4代の子孫・少納言家隆の子である美作権守昌隆の末裔・式部律師興昌が近江神崎郡徳永村に定住し徳永を称したと伝わる。

美濃高須藩 5万石

藩主官位・通称出自
初代徳永寿昌 Nagamasa石見守美濃高松城主徳永昌利の子。
柴田勝豊に仕えるも、賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉(豊臣秀吉)と通じ、勝豊死去後は豊臣秀吉の家臣となる。
関が原の戦いでは西軍の高須城1万石の城主高木盛兼を攻め落とした。
2代徳永昌重 Masashige従五位下 左馬介徳永寿昌の長男。
1628(寛永5)年、大坂城石垣普請助役工事の遅延を理由に改易。長男昌勝の子孫は旗本として存続。


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Last-modified: 2010-02-20 (土) 00:26:15 (4671d)