西国諸藩

島津家(鹿児島藩主家)

鹿児島藩 77万石

藩主官位・通称出自
初代島津家久 Iehisa従三位 薩摩守 権大納言島津維新入道義弘の三男。忠恒が後に、徳川家康の偏諱を受けて叔父と同じ家久に改名。
義弘の兄・島津義久に男児が無く、1593(文禄2)年に兄・島津久保が朝鮮で陣没のため、豊臣秀吉の指名により島津家を継ぐ。
2代島津光久 Mitsuhisa従四位上 薩摩守 左近衛中将島津家久の次男。
1616年7月15日(元和2年6月2日)-1695年1月14日(元禄7年11月29日)
藩主就任初期に分家・新城島津家当主で妹婿の島津久章を自害させ、父・家久の家老・島津久慶を追放。
3代島津綱貴 Tsunataka従四位上 薩摩守 左近衛中将島津光久の長男・島津綱久の長男
1650年11月17日(慶安3年10月24日)-1704年10月14日(宝永元年9月16日)
父・綱久が42歳で早世したために祖父より家督を承継。
4代島津吉貴 Yoshitaka正四位下 薩摩守 左近衛中将島津綱貴の長男。
1675年11月4日(延宝3年9月17日)-1747年11月12日(延享4年10月10日)
江戸幕府の御三家に倣って、加治木島津家、垂水島津家に加えて、四男・忠紀に越前家を再興させ、七男・忠卿に断絶した和泉島津家を継がせ今和泉島津家とし、4分家が本家に後継者がない場合の備えとした(一門家)。
1721(享保6)年、長男・継豊に家督を譲って隠居。
5代島津継豊 Tsugutoyo従四位上 大隅守 左近衛中将島津吉貴の長男。
1702年1月19日(元禄14年12月22日)-1760年10月28日(宝暦10年9月20日)
五代将軍綱吉の養女・竹姫と再婚している。
6代島津宗信 Munenobu従四位上 薩摩守 左近衛中将島津継豊の長男。
1728年7月19日(享保13年6月13日)-1749年8月22日(寛延2年7月10日)
、尾張藩第8代藩主・徳川宗勝の娘・房姫と婚約するも、父に先立って死去。
7代島津重年 Shigetoshi従四位下 薩摩守 左近衛少将島津継豊の二男。
1729年3月10日(享保14年2月11日)-1755年7月24日(宝暦5年6月16日)
当初、加治木島津家当主島津久季の養子となり、加治木島津家第4代当主。兄・宗信の死去に伴って宗家に復帰。加治木島津家は長男・島津久方(島津重豪)が承継。重年も父に先だって死去。
8代島津重豪 Shigehide従三位 薩摩守 左近衛中将島津重年の長男。&br:1745年11月29日(延享2年11月7日)-1833年3月6日(天保4年1月15日)
当初、父の加治木島津家を承継。父の死去に伴って宗家を承継。加治木島津家は佐多家の嫡家である知覧島津家当主・島津久峰の長子・島津久微(重豪の従兄弟)が後に名跡継承。
1787(天明7)年1月、家督を長男の島津斉宣に譲って隠居するも実権を握り続ける。1809(文化6)年に、子の斉宣が樺山主税、秩父太郎ら近思録派を登用しての緊縮財政に反対。近思録崩れによって彼らを追放し、孫の島津斉興を擁立。しかし、晩年は下級武士の調所広郷を重用し財政改革に取り組んだ。
9代島津斉宣 Narinobu正四位上 薩摩守 左近衛中将島津重豪の長男。
1774年1月17日(安永2年12月6日)-1841年12月6日(天保12年10月24日)
1787(天明7)年1月、父・重豪の隠居に伴って家督を承継。
10代島津斉興 Narioki従三位 大隅守 参議島津斉宣の長男。
1791年12月1日(寛政3年11月6日)-1859年10月7日(安政6年9月12日)
1809(文化6)年6月、近思録崩れによって父・斉宣が祖父・重豪によって隠居させられたことに伴い家督を承継。祖父と同じく調所広郷を重用し財政再建を行う。晩年に、鳥取藩主・池田治道の娘・弥姫との間の嫡子・斉彬が、側室・お由羅の方との間の五男・久光との後継者争い(お由羅騒動)が起っている。斉彬派の山田清安、高崎五郎右衛門、近藤隆左衛門らが久光暗殺を計画するも事前に察知され首謀者13名は切腹。1851(嘉永4)年2月、老中・阿部正弘の調停により、斉興は隠居し斉彬が家督を承継することで決着。
11代島津斉彬 Nariakira従三位 薩摩守 権中納言島津斉興の長男。
1809年4月28日(文化6年3月14日)-1858年8月24日(安政5年7月16日)
お由羅騒動の後に家督を承継。西郷隆盛、大久保利通ら下級武士を登用。福井藩主・松平春嶽、宇和島藩主・伊達宗城、土佐藩主・山内容堂、水戸藩主・徳川斉昭、尾張藩主・徳川慶勝とともに安政の幕政改革を訴えた。第13代将軍・徳川家定に養女・篤姫を嫁がせ、一橋慶喜を将軍に推した。しかし、大老・井伊直弼は安政の大獄を行い、紀州藩主・徳川慶福に将軍位(第14代将軍・徳川家茂)を継がせた。
これに抗議して、藩兵を率いて上洛を企てるも急死。
12代島津忠義 Tadayoshi従一位 大隅守島津斉彬の弟島津久光の長男。
1840年5月22日(天保4年4月21日)-1897(明治30)年12月26日
伯父・斉彬の養嗣子となり、遺言によって家督を承継。しかし、藩政の実権は祖父・斉興、父・久光に握られた。徳川慶喜の大政奉還後に、小松帯刀・西郷隆盛・大久保利通らの進言によって藩兵を率いて上洛。この軍勢が鳥羽・伏見の戦いにて旧幕府軍を打ち破った。


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Last-modified: 2010-02-20 (土) 00:25:52 (3580d)