岩村藩写真は岩村城。別名霧ヶ城。海抜721メートルと全国の山城の中で最も高地にあり、日本三大城の一つ。 この城は武田24将の一人秋山信友が城主を勤めたことで知られる。
この時、織田信長の配下となっていた岩村城主・遠山景任は既に亡く、妻で信長の叔母に当たるおつやの方が信長の末子・御坊丸を養子として城を守っていた。秋山信友は奇策を用いて、おつやの方と結婚することで城を自分のものとした。 ところが、信玄が病死し設楽ヶ原で勝頼が敗北すると、岩村城は完全に敵中で孤立。末子・御坊丸を殺されたことを恨む織田信忠軍によって包囲され落城。信友とおつやの方は逆さ磔の刑に処された。 その後、川尻鎮吉と森蘭丸、森長一、森忠政の森三代、田丸具忠と28年間で城主が3家で交代した。田丸家は関が原の戦いで西軍に属したために、城主はそれ以降、松平氏2代、丹羽氏5代を経て、大給松平家7代をもって明治維新を迎えた。
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