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宮城県

美味し国、伊達な旅

宮城県気質

 誠実。根気強い。おしゃれ好き。新しいもの好き。

牡鹿郡

  • 石巻市:牡鹿半島の沖に浮かぶ金華山には黄金の神を祀る黄金山神社が鎮座している。
    現存する木造教会堂建築としては日本最古の旧石巻ハリストス正教会教会堂は1880(明治13)年の建築。大地主だった齋藤家九代当主、善右衛門が明治後期に造成した庭園の齋藤氏庭園は国の名勝に指定されているが見学が出来なくなってしまった。
    石ノ森萬画館は新たな名所。
  • 女川町:南三陸金華山国定公園地域にある風光明媚な地。

本吉郡

  • 気仙沼市:港まち恋人スクエアはロマンチックなエリア。遠洋漁業の町として栄えてきた。
  • 本吉町:奥州藤原氏の藤原秀衡は標高512mしかない田束山の山頂に羽黒山清水寺、中腹に田束山寂光寺、北嶺に幌羽山金峰寺を建立し山そのものを信仰したという。よほどの霊山ということだろう。今は田束経塚群として残っている。
    鎌倉幕府による奥州征伐の後、本吉には大谷はの熊谷氏、津谷・馬籠・小泉は千葉氏といった鎌倉武士団による支配下に置かれた。
    南北朝時代には、同じく鎌倉武士団であった葛西氏が一円を支配。1590(天正18)年に葛西氏は豊臣秀吉に滅ぼされ、木村氏が代わって支配。しかし、葛西氏一族による叛乱が相継ぎ、伊達政宗が鎮圧に乗り出し、以降は伊達家の支配となった。
    峰仙寺には1539(天文8)年に四世陽山が京都で購求したという佛涅槃図が伝わる。
  • 南三陸町:南北朝時代の支配者である葛西家の一族、本吉氏の居館である朝日館跡は、藤原秀衡の四男、本良四郎冠者高衡の居館であったという伝説も伝わっている。
    田束山は奥州藤原氏による造営がなる以前、承和年間(834-848)には龍峯山と呼ばれる天台宗の一山だったという。その関係か、朝日館跡の麓には本良四郎高衡によって建立された天台寺院され、本吉氏の菩提寺となって曹洞宗に代わった大雄寺がある。

桃生郡

  • 東松島市:松島湾の入口に浮かぶ宮戸島と太平洋に臨む野蒜海岸一帯は奥松島と呼ばれる。1882(明治15)年に、日本最大の貿易港として工事が始まったものの、台風によって壊滅的な打撃を受け廃港となった野蒜築港跡には今でも赤レンガ残る。


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Last-modified: 2010-02-20 (土) 00:25:26 (5173d)