宮城県

大崎八幡宮

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1604(慶長9)年に伊達政宗が仙台城の鎮護のために社殿を造営。旧領の米沢から成島八幡宮を合祀した。

しかし、その起源は古く、源義家が安倍貞任と戦うために遠田郡八幡に男山八幡宮を勧請したのが始まりと伝わる。その後、奥羽の雄・大崎家の尊崇を受けた。

大崎家は室町時代の奥州四管領家である石塔・吉良・畠山・斯波の内、河内国人の支持を受け、大崎五郡(加美、玉造、志田、遠田、栗原)を拠点としたし波家の末裔。

大崎家は葛西家とともに奥州の覇を競ったが福島北部から台頭した伊達家に押されていった。

最終的に伊達政宗が、豊臣秀吉による奥羽仕置(1590)に対して巻き起こった葛西・大崎一揆を平定し、大崎の岩出山に本拠を移した。

この時、伊達政宗は大崎八幡宮の御神体を入手し大崎地方制圧の契機としたという。



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Last-modified: 2010-02-20 (土) 00:24:42 (5178d)