ルーツ

堀田家(宗家)

出自

  • 紀姓。
  • 『寛政重修諸家譜』曰く、「弥三郎(正重)、尾張守、堀田を称す。修理大夫之盛が男。尾張愛智郡津嶋に住す」 正重の子正純は、尾張守護斯波氏に仕え、尾張国中嶋郡北島・有堀・丸淵・甲山などを領した。
  • 正純の子の正道は、織田信秀、信長、そして豊臣秀吉に仕えた。

相模常陸甲斐うち城主格 1万5千石

藩主官位・通称出自
初代堀田正盛 Masamori従四位下 加賀守尾張国中島郡国人・堀田正吉の長男。
豊臣秀吉家臣。
春日局を継祖母とする。

武蔵川越藩 3万5千石

藩主官位・通称出自
初代堀田正盛 Masamori従四位下 加賀守尾張国中島郡国人・堀田正吉の長男。
豊臣秀吉家臣。
春日局を継祖母とする。1635(寛永12)年、老中に就任。

信濃松本藩 10万石

藩主官位・通称出自
初代堀田正盛 Masamori従四位下 加賀守尾張国中島郡国人・堀田正吉の長男。
豊臣秀吉家臣。
春日局を継祖母とする。

下総佐倉藩 11万石

藩主官位・通称出自
初代堀田正盛 Masamori従四位下 加賀守尾張国中島郡国人・堀田正吉の長男。
豊臣秀吉家臣。
春日局を継祖母とする。
1651(慶安4)年、徳川家光の死に殉じる。
2代堀田正信 Masanobu従五位下 上野介堀田正盛の長男。母は酒井忠勝の娘。正室は松平定行の娘。
1660(万治3)年、松平信綱との確執から、上書を幕閣に提出し佐倉に無断帰国したため所領没収。
1680(延宝8)年徳川家綱死去に際して配流先の徳島にて自害。

上野吉井藩 1万石

藩主官位・通称出自
初代堀田正休 Masayasu従五位下 豊前守堀田正信の子。
父に連座するも、1681(天和2)年に徳川綱吉の子・徳川徳松の側役として復帰。

近江宮川藩 1万石→1万3千石

藩主官位・通称出自
初代堀田正休 Masayasu従五位下 豊前守堀田正信の子。
父に連座するも、1681(天和2)年に徳川綱吉の子・徳川徳松の側役として復帰。
2代堀田正朝 Masatomo従五位下 駿河守堀田正国の子
3代堀田正陳 Masanobu従五位下 出羽守堀田正朝の子
4代堀田正邦 Masakuni従五位下 出羽守堀田正陳の子
5代堀田正穀 Masazane従五位下 豊前守堀田正邦の子
6代堀田正民 Masatami従五位下 豊前守堀田正穀の子
7代堀田正義 Masanori従五位下 豊前守美濃大垣藩主戸田氏庸の子。正室は堀田正民の娘。
8代堀田正誠 Masazumi従五位下 豊前守旗本本多助信と堀田正穀の娘との子。
9代堀田正養 Masayasu従五位下 豊前守出羽亀田藩主岩城隆喜の子。正室は堀田正誠の娘。

諸流



トップ   差分 バックアップ リロード   一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2010-02-20 (土) 00:24:31 (3988d)