城郭史 histoire des châteaux et des manoirs au Japon

弥生時代環壕集落&高地性集落集落を幾重にも壕で囲んだもの。
東北から北九州にかけて広く分布。
高地性集落
7世紀朝鮮式山城滅亡した百済を救済するための白村江の戦いで敗れて後、唐の侵攻に備えて築かれた城。
築城は亡命百済人が指導したと考えられている。
太宰府近郊の水城や大野城、香川の屋島城が典型例。
豪族居館
7~8世紀城柵城柵と書いて「きき」と読む。律令国家となって以降、北方へと戦線が拡大する中で東北地方に築かれた。
宮城の多賀城、秋田の秋田城が典型例。
平安時代館と柵北海道や東北の蝦夷の末裔である豪族の拠点は館と呼ばれ、館の防御施設を柵と呼んだ。これらは、中世の山城に発展していった。
安倍一族による平泉館、衣川柵、厨川柵、福島の陣ヶ峯城などが典型例。
平安時代~鎌倉時代在地領主館いわゆる鎌倉武士の館。
方形館の周囲に水田や長屋があることが特徴。
足利館が典型例。
南北朝~室町時代霊山山城平地の居館とは別に、戦闘時に籠もるため施設。多くは霊域に築かれた。これは宗教的な意味合いからである。
この時期の山城には福島の猪久保城のように平場、堀切・切岸から構成され土塁もある。
大阪の千早城、京都の笠置山などが典型例。
館城居館が大規模土塁と堀によって区画されているもの。京都の大内城、大阪の日置荘、福島の新宮城が典型遺跡。
群郭式城館堀や土塁で区画された曲輪が群集する城館。
青森の浪岡城、根城、秋田の脇本城が典型遺跡。
戦国時代戦国山城島根の月山富田城、滋賀の小谷城が典型例。
16世紀後半には、近江守護佐々木六角家の居城・観音寺城のように石垣を伴う城郭が出現。六角家は石垣構築の技術を金剛輪寺などから導入。領国内の佐生城、星ヶ城、小堤山城、三雲城などで石垣を構築した。また、同じく近江の湖北に勢力を持った戦国大名浅井家の居城・小谷城や鎌刃城にも高石垣があったことが判明している。
近江国以外でも、守護大名赤松家の置塩城、感状山城、富山城(岡山)、天神山城、三石城、富田松山城など播磨・備前地域の宇喜多家の城郭には石垣が伴う他、広島の万徳院、吉川元春館、松本屋敷などでは山城ではなく居館に石垣が築かれている。
これらは、安土城などの織豊系城郭の先駆けと言える。
安土桃山時代織豊系城郭織田信長、豊臣秀吉が築いた城。
高石垣、瓦、礎石建物の三要素と天守を特徴とする。全般的に、城の縄張は天正年間(1573-92)に目覚しい発達を遂げた。
織田信長による石垣の構築は1563(永禄6)年に築城した小牧城に始まり、岐阜城、1576(天正4)年の安土城と続く。
豊臣秀吉は織田信長とは異なり天守の建設を家臣にも許した。この結果として、日本全土、九戸城から佐土原城まで天守を持つ多くの織豊系城郭が出現することとなった。
安土城、大坂城が典型例。
江戸時代元和一国一城令によって多くの織豊系城郭は廃城となった。
1600(慶長6)年の関ヶ原の戦いの論功行賞によって多くの大名が移封されると築城ラッシュとなる。中でも、豊臣秀頼の大阪城を包囲するなどの目的で諸大名を動員して行われたのが天下普請である。

参考

城館廻り

白河小峰城
村岡城址
波多野城址
榎下城址
小机城址
筑土城址『江戸名所図会』によると関東管領上杉時氏の砦跡
滝山城址武蔵国守護代大石定重築城。北条氏照が拡張。
秩父永田城址鉢形城主北条安房守氏邦の家老、井上三河守の城。
鉢形城址
雉岡城址
武田氏館(躑躅ヶ崎館)址
河越館址
観音寺城(佐々木城)址
岐阜城址
安土城址
岩村城址
熊本城址
佐賀城址
島原城址
名古屋城址
赤穂城址
姫路城址
富山城址
対馬金石城址
唐津城址
和歌山城址
諏訪城址
小諸城址
岡崎城址
二連木城址
吉田城址
東条城址
西尾城址
安祥城址
足利館址
菅谷館址
大蔵館址
桑名城址
松阪城址
用土城址
勝沼館址
古河公方館址


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Last-modified: 2010-02-20 (土) 00:24:11 (5345d)