大阪府の史跡

四天王寺

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推古天皇の時代、593年に創建された大阪の古刹。

大阪の古刹というだけでなく、蘇我馬子の法興寺(飛鳥寺)と並ぶ全国規模での古刹中の古刹。

聖徳太子(厩戸皇子)ゆかりの寺院として全国に知られている。聖徳太子(厩戸皇子)は、物部守屋と蘇我馬子の合戦に蘇我馬子側として参加。蘇我軍は河内国渋河の稲城に籠もる物部軍を攻めあぐねた。この時、崇仏派の蘇我馬子側の勝利を願って四天王像を彫り、戦勝後の寺院建立を誓願。それが、この四天王寺。

当時、四天王寺の地は摂津難波の荒陵(あらはか)と呼ばれ、敗れた物部氏の資産が創建に当てられたという。仏教伝来まもない頃の伽藍形式を伝え、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂が一直線に並び、それらを回廊が囲む、いわゆる四天王寺式伽藍配置を現在でも見ることが出来る。

但し、諸建造物は創建当時のものではなく、1576(天正4)年の織田信長による石山本願寺攻めの兵火で焼失。豊臣秀吉によって再建される。

しかし、豊臣秀頼を徳川家康が攻めた1614(慶長19)年の大阪冬の陣で再び焼失。徳川幕府の援助で再建されるも、1801(享和元)年に落雷によって焼失。

再び再建された伽藍は1934年の室戸台風で被害、1945年の大阪大空襲で焼失。現在の伽藍は1963年の再建。

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Last-modified: 2010-02-20 (土) 00:16:22 (3500d)