君待橋千葉市中央区の本千葉駅近くにある都川に架かる橋。 1180(治承4)年9月、石橋山で敗れ安房に逃れた源頼朝を千葉介常胤が一族郎党と迎え入れた橋として知られている。 もっとも、当時は橋の位置は現在とは異なっていた。 それはともあれ、橋の名を尋ねた頼朝に対して常胤の子の東六郎胤頼は「見えかくれ 八重の潮路を待つ橋や 渡りもあへず 帰る舟人」の一首を捧げた。この故事に因んで君待橋と呼ばれるようになったという。 また、両岸に住む若い恋人が大雨で橋が流されたために会えなくなり、会いたい一心で川に飛び込んだ若者が流され、娘も若者を追って飛び込んで二人とも亡くなったことから君待橋と呼ばれるようになったとも言う。
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