吉野ヶ里遺跡吉野ヶ里遺跡に足を踏み入れたのは、まだ20世紀であった頃の1999年。 佐賀空港に降り立って、そのまま直行した。 佐賀には初めてだったので、佐賀なら佐賀空港という単純な図式で飛行機を予約した。 しかし、バスの運転手さんやら食事に入ったお店の人から、なぜ、わざわざ佐賀空港を東京の人間が使ったのかとしきりに質問されたことが記憶に刻まれている。 どうやら、福岡空港を使うというのが常識らしい。 それは、ともあれ、1999年という年に行っておきながら、全く写真の整理をしていなかったということに、2008年の暮れに気づいた。 その後に赴いた青森の三内丸山遺跡は記事を書いていたのにだ。 という次第で吉野ヶ里遺跡。 1986年から佐賀県教育委員会によって発掘調査が行われている遺跡。 弥生時代前期初頭に小規模な環壕集落が丘陵南端に形成され、前期には3ヘクタール、中期には推定20ヘクタール超、後期には40ヘクタールを超す大規模な環壕集落へと発展したと考えられている。 後期後半には望楼を備えた環壕があったと考えられていて、それらが復元されているというのも初めて訪れる向きには想像力の補助となり有り難い。 この環濠というと奈良県の竹内環濠集落などを思い浮かべる。竹内環濠集落の場合は、今でも暮らしが営まれているので、重ね合わせてみると吉野ヶ里に人々が生活していた頃のシーンをイメージしやすい。 環濠に囲まれているのは遺跡のうち北内郭と南内郭。 北内郭は内部に中期の墳丘墓に南面する祭殿と目される大型建物を含む掘立柱建物跡が存在していたとされる。ここには、司祭者の居住・祭祀の場と考えられるという。 一方の南内郭は高階層の人々の居住区という。 歴代首長を埋葬したと考えられる大規模な墳丘墓も見つかっており、邪馬台国の有力な候補地の一つと言えよう。 但し、近年では徳島に別の意味での第三候補が出てきている点も気にはなる。
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