西暦 | 和暦 | 事蹟 |
1487 | 長享元 | 北条早雲が今川範満を斃し、今川氏親に今川家の家督を継承させる。 |
1491 | 延徳3 | 伊豆の足利茶々丸を討つ。 |
1497 | 明応4 | 小田原城主・大森藤頼を駆逐する。 |
1504 | 永正元 | 扇谷上杉朝良の要請により、今川氏親とともに武蔵立川原に山内上杉顕定を破る。 |
1505 | 永正2 | 扇谷上杉朝良と山内上杉顕定の両上杉家が和睦する。 |
1506 | 永正3 | 4月:両上杉に支えられた古河公方足利政氏と、子の足利高基が争う。北条早雲は足利高基を支援。 9月:北条早雲が今川氏親に従って三河侵攻。三河侵攻は2年間に及び、この間、東三河はおろか西三河まで侵攻し松平長親と干戈を交えている。この侵攻によって、今橋と一色の牧野、二連木の戸田、西郷の鵜殿、作手の奥平・段峯・長間などの東三河諸氏が今川方に属した。 |
1508 | 永正5 | 10月:今川氏親の命によって、北条早雲が再び三河へ侵攻。 |
1510 | 永正7 | 6月:越後に侵攻した山内上杉顕定が長尾為景によって敗死。山内上杉家の家督は子の憲房が継承。 7月:越後の長尾為景の要請によって、北条早雲が上田政盛とともに扇谷上杉朝良を攻める。 |
1512 | 永正9 | 8月:北条早雲が岡崎城から三浦義同を駆逐し鎌倉に入る。 10月:鎌倉郊外に玉縄城の築城を始める。 |
1516 | 永正13 | 7月:新井城を落とし三浦一族を滅ぼす。 |
1518 | 永正15 | 9月:虎印判を定める。 |
1519 | 永正16 | 8月:北条早雲が没する。 |