冥界への入り口京都の東山の麓にある六道珍皇寺は、平安時代に活躍した小野篁(802-853)が冥界へと赴く際の入り口があったとされる寺。 この小野篁、反骨精神が逞しく、野相公とか野狂とも呼ばれた人物。学問の道にも優れていたが、初めから学者の道を歩んだ訳ではない。 また、反骨精神豊かとは言っても、官僚としても優秀だった。 但し、遣唐副使に任命された際に上司である藤原常嗣の横暴に憤慨し勝手に遣唐使船に乗船を拒否。嵯峨上皇の怒りを買って官位剥奪の上で隠岐に配流されている。 ところが、その後、何事も無かったかのように京に呼び戻され要職を歴任。何とも不思議だ。 そのためか、小野篁は昼間は朝廷に夜は閻魔大王に仕えているとの伝説が生まれた。そして、小野篁が地獄へ行く時に入り口として利用したのが、写真の奥に見える井戸だという。
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