神奈川県>寒川

伝梶原七士の墓

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神奈川県は寒川は源頼朝の側近の一人梶原景時の本拠地だった場所。

頼朝亡き後、彼の汚れ役を一手に引き受けていた梶原景時は御家人に疎まれ、遂には失脚。幕府から追討を受ける身となった。景時父子は上洛し再起を図ろうとしたものの、清水に差し掛かったところで幕府方と戦闘となり討死した。

この五輪塔は、その梶原父子の一族郎党のうち寒川の一之宮で留守を守った人々が供養のために建立したものと伝わる。

また、一説には、梶原景時の夫人とともに信州に落ち延びていた七人の郎党が、後に梶原家の復興を幕府に願い出たものの、受け入れられず自害して果てたのを祀ったともいう。

梶原景時というと小説などではあまり良くないイメージの策謀家として描かれることがある。しかし、伝説であったとしても、彼を信じた人々が確かにあったことを塔は物語っている。

2005年11月20日



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Last-modified: 2010-02-19 (金) 22:32:56 (3940d)