伊賀上野城址 †伊賀上野と言えば忍者の里。 しかし、伊賀上野城は築城の名手として名高い藤堂高虎。藤堂高虎は徳川家康によって豊臣家の大阪城に対峙する役割を与えられた。 それまで伊賀上野は筒井定次が大阪城の守りとして任されていた。筒井定次は後に徳川家康に与するが、信任を厚くすること叶わず。加えて、家中騒動が起きたことにより筒井家は改易。 代わって入った藤堂高虎は徳川家康の期待に応えるべく石垣を高くし、南に二ノ丸を構築し、五層の天守閣を築くなど大幅な改築を施した。 但し、竣工前の1612(慶長17)年に嵐のため天主閣は倒壊。 既に豊臣家は滅亡し、江戸幕府の体制も固まっていたことから、天主閣の再建はされなかった。 しかし、一国一城令の後も藤堂家の居城である伊勢津城があるにも関わらず存続を許された。 なお、現在の天守閣は1935年に立憲民政党の衆議院議員・川崎克によって再建されたもの。 とはいえ、見事な石垣を堪能するだけでも訪れる価値は十二分にある。
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