了翁禅師塔碑東京は上野の寛永寺にある都旧跡。了翁は諸国巡礼の最中に薬の製法に関して頭に閃きを感じた。そこで、キターッ!とは叫ばずに、実際に錦袋円という名で拵えて不忍池で売りまくった。店を構えて売ったのだ。閃きは本物だったようで、数年で錦袋円は数千両という売上を記録。ベンチャーの旗手となった。 得たお金で麻布に豪邸を構えるということもせず、江戸を度々襲った大火で罹災した人々の救済を行った。こういうことをするなんて所が禅僧っぽい。 それだけでは3代も経てば人々は忘れてしまう。お金の切れ目は縁の切れ目。 しかし、人々を根本的に救済するために、経典7000巻を購入して経庫まで建てた上で寛永寺に寄進した。更に、1683(天和3)年には勧学院という教育機関まで建てた。その功績によって、輪王寺宮から勧学院権大僧都法印に任命され現代にまで名を遺した。
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