天正年間江戸湾岸図

東海道に属す。「和名類聚抄」に曰く、牟佐之(むさし)の国府、多磨郡に在りと云々。(武蔵国、上古は東山道の内に入る。光仁天皇の宝亀二年辛亥冬十月己卯、太政官奏して東海道に属せしむるよし、「続日本紀」に見えたり。)久良(くらき)・都筑・多磨・橘樹(たちばな)・荏原・豊島・足立・新座(にいくら)・入間・高麗(こま)・比企(ひき)・横見・埼玉・大里・男衾(おぶすま)・幡羅(はら)・榛沢(はんざわ)・那珂(なか)・児玉・賀美(かみ)・秩父・葛飾等、以上二十二郡なり。(「拾芥抄」に、大県・東海・那珂等の三郡を加へ、葛飾を除きて廿四郡とすれども詳かならず。貞享三年丙寅三月、利根川の西を割りて、武蔵国に属せしむ。昔は本所葛西の辺、浅草の川を国界として、川より東の地は、一円に下総国なりしを、右に云ふ如く、今は葛飾郡の半を割りて、利根川の以西を武蔵国の葛飾郡とす。以東を下総国の葛飾郡とす。「和名抄」に、武蔵国管(かん)二十一とありて、葛飾郡なし。いまこれを加へて二十二郡とす。)
『江戸名所図会』

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