弘化年間改定江戸図

弘化年間(1844年-1848年)改訂江戸図 を加工。江戸と言った場合、様々な定義はあるが、江戸所払いという時の江戸は千住・板橋・品川・内藤新宿の4宿場以内と隅田川より東の墨東の本所・深川を指した。また、1818(文政元)年に目付牧助右衛門による「御府内外境筋之儀」に対して、幕閣が協議の上、老中阿部正精が出した公式見解(朱引図)によると東は中川限り、西は神田上水限り、南は南品川町を含む目黒川辺まで、北は荒川・石神井川下流限りを御府内とした。


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