1181年10月27日庚午陰晴不定

[玉葉]或る人云く、頼朝必定すでに上洛を企て、去る二十一日尾張保野宿に付くべきの由と。然れども、両三日延引か。いかさまにも入洛は決定、竹園に於いては、相模の国に留め奉る。上総の国住人廣常(介の八郎と称す)を以て守護し奉ると。行家すでに尾張国内に入ると。また聞く、北陸道去る二十四日襲い攻めんと欲す。然れども、無勢に依ってまた延引す。年内合戦に及ぶべからずと。

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