1181年10月20日癸亥

昨日、太神宮権の禰宜渡會光倫(相鹿の二郎太夫と号す)、本宮より参着す。これ御祈祷を致さんが為なり。今日御願書を賜う。武衛対面し給う。光倫申して云く、去る月十九日、平家申し行うに依って、東国帰往の祈請の為、天慶の例に任せ、金鎧を神宮に奉らる。奉納以前、祭主親隆卿嫡男神祇少副定隆、伊勢の国一志の駅家に於いて頓滅す。また件の甲奉納を致すべき事、同月十六日京都に於いて御沙汰有り。その日に当たり、本宮正殿の棟木に蜂巣を作り、雀小さき蛇の子を生む。これらの怪に就いて先蹤を勘ずるに、朝憲を軽んじ、国土を危めるの凶臣、この時に当たり敗北すべきの條、置いて疑い無してえり。仰せに曰く、去る永暦元年出京の時、夢想の告げ有るの後、当宮の御事、渇仰の思い他に異なり。所願成弁せば、必ず新御厨を寄進すべしと。

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