1181年10月11日甲寅陰晴不定

[玉葉]伝聞、熊野の行命法眼(南法眼と称す。熊野の輩の中、ただ一人官軍に志有る者なり)、上洛せんと欲するの間、散々伐ち落されをはんぬ。僅かに身命を存すと雖も、子息郎従一人残らず伐ち取られをはんぬ。その身山中に交わると雖も、安否猶不定と。これ志賀在廰の者の所為と。今に於いては、熊野方一切異途無く一統しをはんぬと。また聞く、追討使等、今日の下向延引す。来十三日猶未だ一定せずと。越前の国無人の由聞こえ有り。謬説と。殆どその勢数万に及ぶの由、今日逃げ上る所の下人、談説せしむと。

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