鎌倉志 北条篇

三島駅から伊豆箱根鉄道駿豆線に乗って伊豆長岡駅へ。目指すは鎌倉幕府の主人公執権北条氏の故郷。鎌倉以前の北条氏は伊豆国田方郡棘木郷北条に居館を構えていた。かつては北条氏は伊豆時代からかなりの規模を誇る豪族だったという説があった。しかし、田方郡は山に囲まれた伊豆にあって東西約四キロ、南北約十二キロ。当時、その中に十三の郷があり、三島大社領、走湯山権現領のほか南条氏、仁田氏、沢氏、天野氏、伊東氏、狩野氏、宇佐美氏などの他、あの山木判官を含めて10以上の武家が分立した状態だった。

当然、棘木郷の全てが北条氏の所領であったはずもなく、北条氏の他に山木、南条、堤、奈古谷といった諸家が所領を持っていた。とても大豪族とは言えない。 こうしたことは歩いてみると実に良く分かる。まずは伊豆長岡駅前から136号線へ。この道を韮山駅まで丁度一駅歩くことにする。写真には写っていないが駅の正面には源氏山が見える。山の向こう側は伊豆長岡温泉。温泉に浸りたい気持ちを抑えて北条氏の故地を目指す。

中條という地名があるあたり条里制の名残を感じる。その他にも上條に南條の地名が残る。北條もその一つだったわけだ。すぐ先には古河が流れている。橋のそばの萩乃屋で栗最中を頬張り、武田信光開基の信光寺へ。信光は源新羅三郎義光の子孫で甲斐に土着して初めて武田を名乗った人物。源 頼朝(鎌倉殿)の下で伊豆国を知行したという。

その先にあるのが鎌倉北條氏初代の北條時政が開いた願成就院。現在の寺院の脇がかつての願成就院で国指定の史跡。願成就院には息子の北條義時と政子に追放された時政の墓の他、足利茶々丸の墓がある。寺の横には守山八幡宮。源 頼朝ゆかりの神社。

北條氏の館は成福寺の辺り。北條氏累代の墓や北條時宗の墓がある。門前の真っ直ぐな道は源 頼朝(鎌倉殿)が幽閉されていた蛭ヶ小島に通じている。

成福寺一帯は室町時代には古河公方(鎌倉公方)に対抗する堀越公方の御所跡としても知られている。

最後は蛭ヶ小島まで足を延ばして韮山駅に。ちなみに、蛭ヶ小島の背後には北條早雲こと伊勢新九郎長氏が堀越公方政知の子足利茶々丸を滅ぼして築城した韮山城があったところ。早雲は鎌倉北條氏の故地であり、古河公方(鎌倉公方)に対抗すべく京室町幕府が派遣した堀越公方の御所地でもあった韮山を手に入れて関東の制覇を目指していったことになる。


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