アッバース朝

アッバース朝は、中東地域を支配した[ A ]朝に続くイスラム帝国第2の世襲王朝(749年 - 1258年)。都はバグダード。

イスラム教の開祖ムハンマドの叔父[ B ]の子孫をカリフとし、最盛期にはその支配は西はモロッコから東は中央アジアまで及んだ。

[ B ]家は、[ A ]朝時代末期に、当時のイスラム帝国のカリフの家である[ A ]家と異なってムハンマドに近しい血を引くことから支持を集めた。745年頃アッバース家の当主イブラーヒームによってイラン東部のホラーサーン地方に派遣されアッバース家支持の教宣活動を行っていた[ C ]は、この地でアッバース家の決起を望む人々と、[ A ]朝よりもムハンマドの血筋に近い者のもとに支配されることを望むシーア派に近い人々を糾合して747年に蜂起し、749年に当時のイラクの中心都市クーファを占領、ここにイブラーヒームの弟アブー=アル=アッバース(サッファーフ)を迎えて新しいカリフに推戴した。翌750年、アッバース朝はダマスカスに拠る[ A ]朝を破って最後のカリフ、[ D ]を敗死させ、完全な王朝交代を成し遂げた。

このアッバース革命とも呼ばれる新王朝創設の過程は、イランにおいて起こったことから、[ A ]朝時代に抑圧されていた非アラブ人のペルシア人の役割が大きかったとするのが通説である。事実、[ A ]朝時代にはアラブ人には課されていなかった[ E ]がアラブ人に対しても課されるようになり、アラブも非アラブもムスリムであれば名目上全く差別されない制度が完成した。

[出典]:wikipediaより改編。


A:ウマイヤ
B:アッバース
C:アブー=ムスリム
D:マルワーン2世
E:ハラージュ


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