ローマ帝国の起源

ローマ帝国の起源は、紀元前8世紀中ごろにイタリア半島を南下した[ A ]の一派がティベル川のほとりに形成した都市国家ローマである。ローマは当初は貴族による共和政を布いており、元老院が大きな力を持っていた(共和政ローマ)。

都市国家ローマは次第に力をつけ、イタリア半島の都市国家を統一、さらに地中海に覇権を伸ばして大きな領域を支配するようになった。紀元前1世紀にはイタリア半島内の都市国家による反乱([ B ])を経て、イタリア半島内の諸都市の市民にローマ市民権を付与し、狭い都市国家の枠を越えた帝国へと発展していった。

「内乱の一世紀」と呼ばれる動乱の時期を経て、ローマは次第に[ C ]支配体制から有力な個人による統治へと性質を変化させた。[ D ]や[ E ]、[ F ]が権力を握った三頭政治の後、[ D ]が[ E ]を戦場にて撃破し、全ての実権を握った。元老院派により[ D ]が暗殺された後、その養子[ G ]は、第2次三頭政治を経てマルクス・アントニウスとプトレマイオス朝のクレオパトラ7世をアクティウムの海戦にて撃ち破り、長きにわたる混乱を収拾した。紀元前27年[ G ]は元老院より「アウグストゥス」の称号を受け、最初の「皇帝」となった。これより後を帝政ローマという。

[出典]:wikipediaより改編。


A:ラテン人
B:同盟市戦争
C:元老院
D:カエサル
E:ポンペイウス
F:クラッスス
G:オクタウィアヌス


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