大田原藩主家

大田原1万1000石の藩主。大田原氏は室町時代の1391(明徳2)年に大俵康清が幕府に命じられて那須氏の客将となったことを始まりとする中世以来の豪族。大俵を大田原としたのは14代目の資清が1545(天文14)年に前室山に城を築き前室という地名を大田原に変えてから。豊臣秀吉による小田原攻めに際して晴清は那須衆の中で最初に秀吉陣営に加わり後北条氏と命運を共にすることは無かった。関が原の戦いの中でも会津の上杉家の動向を徳川家に知らせるという働きをし関東の豪族としては珍しく大名となって徳川時代を生き延びた。

下野国大田原藩は明治2年時点で人口12,500人、士族は600人。


This page is powered by Blogger. Isn't yours?