1203(建仁3)年

5月


19日 阿野全成(1153-1203)が謀反の疑いで武田信光に捕縛される。阿野全成は源 頼朝の弟。妻は北条政子の妹の阿波局。全成の頼家による捕縛の背景には母子の確執があったとされる | 20日 2代将軍頼家が比企時員を派遣し、母の北条政子に阿波局の引渡しを要求するが拒絶される | 25日 阿野全成が常陸国に配流される

6月


23日 阿野全成が誅される

7月


20日 2代将軍頼家が発病する | 25日 阿野全成の子の播磨公頼全を東山延年寺で誅したとの報せが届く

8月


4日 三浦義村が土佐国守護に任ぜられる | 27日 2代将軍頼家の病状が危急とされる中で、御家人達が北条時政主導のもとで、弟の千幡(実朝)に西国38ヶ国の地頭職を、子の一幡に東国28ヶ国の地頭職と総守護職を分与することを議決。2代将軍頼家の岳父である比企能員と千幡の外祖父である北条時政の間で不穏の空気が漂う

9月


2日 『比企氏の乱』:北条時政が比企能員を名越の自宅で謀殺。比企氏謀反として、比企ヶ谷の小御所を襲撃。この戦いで2代将軍頼家の子一幡と比企一族が命を落とした | 7日 2代将軍頼家が廃位され、千幡(実朝)に征夷大将軍の宣下 | 15日 北条政子が父の時政の後妻の牧ノ方の動きを警戒して千幡(実朝)を大御所に移す | 29日 前将軍頼家が落飾の上、伊豆修善寺に幽閉される

10月


源家一門の平賀朝雅が京都守護に任じられる | 8日 千幡が元服し後鳥羽上皇より実朝の名を賜る

11月


15日 初代執権北条時政が鎌倉寺社奉行を以下のように定める。

鶴岡八幡宮寺:江馬四郎、和田左衛門尉、清圖書允
勝長寿院:前大膳大夫、小山左衛門尉、宗掃部允
永福寺:畠山次郎重忠、三浦兵衛尉、善進士
阿弥陀堂:北条五郎、大和前司、足立左衛門尉
薬師堂:源左近大夫将監、千葉兵衛尉、藤民部丞
右大将家法華堂:安達右衛門尉、結城七郎、中條右衛門尉


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