1196(建久7)年

3月


23日 左大臣三条実房が辞職する

6月


京都守護一条能保が平 知忠を誅する

9月


鎌倉殿が津々見忠季を若狭守護に任命する

10月


鎌倉殿が三善康信に備後太田庄地頭職を与える

11月


和泉国の御家人に内裏大番役を命じる | 23日 中宮任子が内裏から八条院に移る | 25日 『建久七年の政変』勃発。第一皇子為仁親王(土御門天皇)の外戚となった土御門(源)通親が鎌倉殿と血縁関係にあった関白九条兼実勢力の内裏からの駆逐を行う。前年の鎌倉殿の上洛で鎌倉殿の意識が大姫の入内にあり、その点で九条兼実との間に齟齬が生じていると判断した通親は承仁法親王(梶井宮)や丹後局と連携。この日、九条兼実と弟の天台座主慈円が罷免される。天台座主には承仁法親王(梶井宮)が就任。九条兼実の子の良経も政治の表舞台から去る。一方で通親は、京都守護一条能保の子の一条高能を参議に、高能の義理の弟の西園寺公経を蔵人頭とすることで鎌倉方との妥協点とした

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